お話し/その11




無名の市民たちによる非暴力不服従運動

2008.04.11〜04.13にかけての週末に、ロッキーフラット反核兵器抵抗市民運動30周年記念の集会に参加してきました。多くの思い出が交錯する集い。下記に心に残った場面について書き留めてみました。(エッセイ:TUP/宮前 ゆかり)

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【一日目】

この30周年記念のリユニオン集会は、ダニエル・エルスバーグを迎え、「ロッキーフラット抵抗運動が世界の核武装解除運動に与えた影響」というお話で始まりました。

30年前1978年4月、ロッキー山脈から吹き降ろす暴風・大雪の中、はるかネバダ州から毎週やってくる核弾頭弾の原料プルトニウムを運ぶ列車を止めるために、コロラド州ボルダーの一般市民たちが鉄道に身体を横たえました。鉄道に身体をしばり、24時間交代で鉄道を「占拠」した無名の一般市民たちとともに、ペンタゴン・ペーパーを暴露したダニエル・エルスバーグもそこで座り込んでいたのです。

ロッキーフラット核弾頭弾製造工場は1952年頃から核兵器を製造していたと思われていますが、政府による極秘操業だったため、地元でも長いことこの工場の存在すら知る人はほとんどいませんでした。さらに、工場の中で働く人々も一切プルトニウムという危険物質と毎日接触していることも知らなかったし、安全教育を受けることもなく、設備の保守管理もずさんな工場運営状況の中、ある日突然工場内で火事が起きたのです。そして実はプルトニウム爆弾が爆発寸前だったことが暴露され、ボルダーを含むデンバー都市圏の市民たちが核爆発という究極的な危機にさらされていたことが公になりました。

この事件をきっかけに工場閉鎖を求める一般市民による非暴力不服従運動から生まれ、世界各地に核兵器非拡散運動が広まりました。この運動はガンジーの教えに基づき「truthforce」と名づけられ、その他多くのグラスルーツ運動の母体となっていきました。KGNUコミュニティラジオ局の発足、ロッキーマウンティン平和と正義センターの発足、非暴力抵抗運動のメソッドを広めたメディエーション手法の教育も、すべてロッキーフラット抵抗運動に関わった一般市民の活動家たちによってそれぞれ広げられていった活動範囲です。グリーンピース創立者の一人であるレックス・ワイラーも、太陽エネルギー改革を推し進めるハーベイ・ワッサーマンもロッキーフラットの抵抗運動出身者です。

30周年記念の集会第一日目は、エルスバーグのお話で始まり、彼が現場で撮った古いスライドを見ながら、当時の緊迫した非暴力不服従運動の様子を振り返り、皆で思い出に浸りました。

スライドの中でも特に迫力があった一枚。ロッキーフラットの線路に皆が座り込みしたのは4月だったのですが、ロッキー山脈から吹き降ろしてくる季節外れの大雪、突風、暴風が荒れ狂いました。それにもめげずに、あの頃はまだ若かった一般人活動家たちが薄いビニールでテントらしきものを張って、「占拠」活動を続行したのです。政府側はロッキーの厳しい天候に負けて占拠者たちもいつかいなくなるだろうと甘く見ていたらしい。ところがどっこい、彼らは汽車が止まらなくても絶対そこから動くまいと決心していたのです。写真のこちら側には、鉄道に自分の身体をくくりつけて座り込みしている人たちの背中が見える。むこう側には、あと一歩という手前で止まったばかりの汽車が見える。その汽車から警察官たちが続々と降り立ってこちらへ逮捕に迫っている。犯罪を犯した政府という権力に向き合い、一歩も譲らない覚悟でびくとも動かない市民たち。その側で強風にひるがえる大きな星条旗。その凄まじい対比が写真に鮮明に写っていました。

あふれる涙。こぼれる笑い。無茶やったよね、お互いに。まったく無防備のまま座り込み占拠に突入した彼らが思いも寄らぬ季節外れの暴風と雪に閉ざされたときに、テントやスキー、スノーシューズなどを無条件、無料で貸してくれた親切な地元の山岳用品屋さんの思い出。長期占拠を決め込んだ彼らがティピ(平原遊牧インディアンの部族の人たちが使った遊牧住居用テント)を線路をまたいで建て、ついでに郵便箱もきちんと設置した時の写真。食べ物もない占拠者たちをテレビで見た市民たちが毎日のように食料をトラック何台分も届けたために、ついに必死でお断りのお願いをしなければならなかったという笑い話。ヒロシマ・ナガサキ原爆記念日にみんなが行ったダイイン(大勢の人たちが死体のように大地に横たわるプロテスト)。日本山妙法寺からかけつけた多くのお坊さんたちと一緒に、核兵器工場のゲートの前でお太鼓を叩き「南無妙法蓮華経」を唱えたときの思い出。

エルスバーグはすごく元気。手品がとても上手。何百回も逮捕され、牢獄を出入りして、国家を相手に真実をつきつけてきた人物。人間の良心をとことん追及した素晴らしい力強さ、でも人類の未来を憂い、ふと涙ぐむ彼の姿に、また心を打たれました。エルスバーグの71歳の誕生日だったらしくて、でっかいチョコレートケーキで集会第一日目が終わりました。


【二日目】

朝から当時の皆のそれぞれの体験を聞き書きするオーラル・ヒストリーの時間。

いろいろな思い出話に花が咲きました。当時の逮捕状のコピーを記念に各自に渡して回る誰かさん。彼はその後弁護士の道を歩んだらしい。自分で見たことのなかった逮捕状を今頃もらった相手はびっくり。逮捕された若者たちの証言に心を打たれて無罪を言い渡した当時の裁判官だった人も後ろの席で静かに参加していました。皆、どうやってロッキーフラットに関わったのか、その後皆はどんな人生を歩んだのか。弁護士になった人も多いけれど、再生可能エネルギー開発のために科学者になった人もいる。市民運動組織に資金を供給する目的の非営利融資機関を発足させた人もいる。最初に内部告発者となったロッキーフラット工場労働者だったジャッキーさんは、当時高校中退の貧しい未婚の母だった。以来何度も癌の再発に悩まされている。この運動に関わってから、放射性化学物質の勉強を始め、30年後の現在、彼女は放射性化学物質の分野で博士号取得を間近に控えているそうです。

印象に残ったのは、エルスバーグが何度も繰り返すお気に入りのお話。当時15歳くらいだった高校生の女の子の話です。先日エルスバーグがイラク戦争5周年のデモで再び逮捕され、牢獄に入れられたとき、当時15歳だったその高校生の女の子がいまや45歳になって、自分の牢獄の向い側のセルに入れられていて、久しぶりに思い出話をすることになり、そこで彼が彼女から聞いた話だそうです。

毎日、市民たちが入れ替わり、立ち代わり、線路に鎖で自分たちを縛り付けて座り込みを繰り返していたときに、いつも応援に来ていたのがこの女の子でした。彼女は未成年だったので、実際に線路上での座り込みはさせてもらえなかったし、ある日、高校の期末テストが迫っていたので、もう参加しちゃダメだとお母さんにしかられたらしいのです。ところがある深夜に多くの座り込み者たちが逮捕されたことが分り、そうすると汽車が来るかもしれない、ということで、彼女は深夜「友達」と一緒に急遽現場にかけつけ、初めて線路に座り込みをしたんだそうです。案の定、汽車が迫ってきました。そして、彼女たちがいたために、汽車は止まりました。そして、彼女はそこで初めて「逮捕」の体験をしたわけです。そのとき一緒に座り込みをしてくれた「お友達」は誰だったの?とエルスバーグが聞くと、彼女は「私のお母さん」だと答えたのです。


【三日目】

朝10時集合。当時毎週歩いたロッキーフラットまでの道のりをまた皆で歩こうという主旨。天気が良いので帽子を被り、日焼け止めをたくさん塗る。妙法寺のお太鼓を打ちながら、ゆっくり出発。街中に響く「南無妙法蓮華経」。ハイウェイではいろんな車から応援の警笛。窓から手を振る人たちもいる。一度だけ酔っ払った若者たちが車の窓から首を出して「仕事でも見つけろ!」と唾を吐いて過ぎ去る。つい苦笑い。「私たち、もう引退しているんだもんね」

野山を越えて歩き、途中で昔からいつもお茶を出してくれるなつかしい農家で一休み。ロッキーフラット工場の現場に着くのに、結局5時間もかかりました。最近は運動不足だから、私の足はふらふら。今は閑散としたゲートにも、まだ警備員が常駐していました。そこで皆で平和の歌を歌い、ジュースを飲み、私は一足先にヒッチハイクして帰宅。

私はこの集会の後、昨日親しくなった例のお母さんと娘さんにパーティに招かれ、お出かけしました。改めて彼女たちの話をよく聞いてみると、なんと、彼らは日本に何年かいたことがあるそうな。お父さんは当時京都の同志社大学で教鞭をとっていたそうな。ゲイリー・シュナイダー、アレン・ギンズバーグ、ナナオ・サカキともお友達だったそうな。世界は狭い。来週私が計画している「裸のラリーズ」(同志社出身バンド)のKGNUの特別深夜番組は絶対聴いてくれると約束。

集会で周りをみまわすと、みんな普通の人たち。決意固く過去30年、40年、市民運動を続けてきた普通の人たち。昔はロングヘアーだったかもしれない若者たちが、今はそれぞれ普通のお母さん、お父さんになって、子供たちを連れてきている。あ、あの人はあそこのレストランのウエイターだ、あ、あの人はあそこのメカニックだっけ。そうそう、彼女は学校の先生。。。。こんなとき、ふと「グラスルーツのアメリカ人っていいな」と思うのです。

海兵隊で訓練を受けたタフなエルスバーグでさえも、ロッキーフラット反核不服従運動に参加するまでは、こんなに肝のすわった人たちにお目にかかったことはなかったそうです。線路に身体を縛り付けて一緒に死ぬかもしれない人たちと同じ覚悟を決めたとき、人生で最高の幸せを感じたという彼の目に、まだ涙が見えました。そのとき、彼は自分が本当に属する「人間家族」をみつけたんだと思ったそうです。エルスバーグの息子さんたち、娘さんも、子供のときからお父さんの戦いを共有する「戦士」として育っています。。。。人類の愚かさに圧倒されがちな今、かすかに希望を感じるのは、こんな人たちと一緒にいるとき。

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「絶対に不可能」といわれたロッキーフラット核兵器製造作業中止という歴史的出来事は1989年に実現し、1992年に工場の汚染清掃作業が開始されました。しかし、現場ではまだ深刻な汚染問題が続いており、また似たような核兵器工場が他の地域で計画されていることが分っています。まだまだ戦いは終わりません。