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■オゾン層の破壊/その影響とフロン(1998/11/14)
●オゾン層が減少するとどうなるか
オゾン層の働きからも分かるように、今、仮にオゾン層が無くなってしまえば5億年前に逆戻り、地上生物はやがて死滅する。それではオゾンが減った時にはどのようなことが起こるのだろう。次のようなことが指摘されている。
【人体への直接的影響】・・・・・・皮膚ガンの増加、 白内障の増加、 免疫機能の低下など
大気中のオゾンが1%減少すると、有害紫外線は約2%増加し皮膚ガンは3〜6%増えると推定されている。皮膚ガンの発生率が現在最も高いのはオーストラリアである。その割合は国民の3人に2人が、生涯の内に何らかの皮膚ガンにかかる計算になるといわれる。皮膚ガンといってもあなどれない。そのガン細胞は他へ転移もするし、致命的といわれる悪性黒色腫(メラノーマ)という皮膚ガンもある。あまり耳慣れない言葉であるが細胞障害、光毒性反応、光アレルギー反応というものや、白内障の増加、免疫機能の低下による疾病の発生などの危険性が叫ばれている。
【生態系への影響】・・・・・・植物や微小生物から始まる生態系バランスの崩壊
UV-Bは植物の成長を阻害するといわれており、多くの生物種を擁する森林への影響、草食動物への影響が懸念される。わずかな細胞層しか通過しないUV-Bは、単細胞生物や微生物には直接的に影響を及ぼすことになる。海洋の場合、UV−B光線が入射するのは海面下1〜2mまでであるが、大部分の水中微生物はその部分に生息している。このように食物連鎖の底辺にいるプランクトンやエビ・カニの幼生、稚魚のような小さな生物への悪影響は、それらを餌とする生物をも減少させ、生態系のバランスに混乱を来すことになりかねない。もちろん、ヒトもこの生態系と無関係ではない。
【農業への影響】・・・・・・農産物の収量減少、食糧不足
UV−Bにさらされると緑色植物の葉の面積が減り、背丈が低くなり、光合成作用も低下するということが研究により明らかになっている。種類によって差はあるが、研究対象とされた作物の2/3は、UV−Bの増加にともなって収量も威少している(オゾン1%減で大豆収量1%減)。主要穀物である稲や大豆は、紫外線に対する感受性が高い作物とされている。重要な役割を担う土壌細菌の減少も農産物全体の収量減少、世界的な食糧難につながる恐れがある。
●オゾンを破壊するフロンは「奇跡の化学物質」
オゾン破壊物質の代表格であるフロンは、1930年に米国ゼネラルモータース社の技師によって発明された化学物質である。正式にはクロロフルオロカーボン(Chloro Fluoro Carbon)のみを指す。「発明」されたということは、もともと自然界には無かったものである。フロンは炭素、フッ素、塩素、水素の化合物で、安定していて害がないという便利な特性を持つことから工業の飛躍的な発展につながる奇跡の物質として歓迎された。そしてその便利な特性を活かして、人間の生活の隅々まで用いられるようになった。主な用途は次のとおり。
@ 冷却媒体 :冷蔵庫、エアコンなどの冷媒
Aエアゾール噴射 :殺虫剤、ヘアースプレー等のガス
B 発泡材 :樹脂の発泡用(クッション材、冷蔵庫や建築物の断熱材)
C 洗浄用溶剤 :電子産業や精密機械産業で使用されている部品の精密洗浄用溶剤
このように、私たちの便利快適な生活は直接間接的にフロンの恩恵の上に成り立っていたのだ。実用化の段階ではマイナスの影響についても慎重な検討がなされ、害は一切無いと判断された。そして、製造コストの安さも手伝って大量に生産され、大量に使用され、不要になったものはそのままガスとして大気中に廃棄され続けたのであった。
クロロフルオロカーボンにもCFC-11、-12、-113、-114等、数種がある。また、類似するものとして、HCFC(ハイドロクロロフルオロカーボン)やHFC(ハイドロフルオロカーボン)があるが、これらはオゾンをほとんど破壊しない。それでCFCの代用品として用いられるようになり、区別して代替フロンと呼ばれる。オゾンの破壊力は弱いが、CFCと同様、地球温暖化の強力な原因物質として知られている。
フロンの他にもハロン、四塩化炭素、臭化メチル等、さまざまなオゾン破壊物質がある。主には塩素原子がオゾンを分解する働きをするが、臭素もそのたらきを持っており、その破壊効果は塩素の10倍とも言われる。
●オゾン層の浸食を予言する二つの論文。
1974年、アメリカとカナダでオゾン層の浸食を予言する二つの論文が発表された。ひとつは成層圏の塩素分子が強力なオゾン破壊因子である可能性を指摘したもの(Stolarski & Cicerone)、もう一方はフロンガスが成層圏に達し、紫外線で分解されて塩素原子を放出していると指摘(Molina & Rowland)したものだ。この論文に対し、おひざ元の米国工業界は当然猛反発をしたが、同時に政治学術の面で最もすばやく対応検討を始めたのもやはり米国だった。そして、78年にはフロン規制の最初の法案がアメリカ議会を通過したのだ。
→続く
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